「談合」  上杉景子はここのところ神経質になっていた。それというのも、会社の方針がハードウ ェアからソフトウェアに重点を移動したため、藤次郎を始めとするハードウェア開発者に もソフトウェアの勉強をさせていたためである。  今までハードウェアの事しか知らなくて、会社からいきなりソフトウェアの勉強をしろ と言われてもそう簡単にできるわけがなく、毎日プログラムについて書かれた書籍を片手 に勉強を続けた。  なんとか、プログラムが解るようになって、その結果、先駆けとして景子は玉珠の会社 に数週間出向し、今まで藤次郎が開発した装置に組み込んだソフトウェア(ファームウェ ア)のメンテナンスを引き受けるべく、玉珠の指導の元に今まで作成されたソフトウェア のプログラムの解析をしなければならなくなっていた。  景子は毎日、未だ慣れないプログラムのリストとにらめっこしながら悪戦苦闘をしてい た。  ソフトウェアの仕様書等の書類は存在していて、中でも玉珠の作成したそれは他の人が 作成した物よりはるかに見易くて、キチンと作られたものであったが、  「こんなところまで、ハードウェアにやらせたの?」  また、  「こういうのって、ファームウェアがやるものよね」 と、景子が驚くくらい藤次郎と玉珠のコンビの仕事は、お互いの範囲を超えて複雑に入り 組んでいた。  景子が帰社して上司の宗像幸子に対して開口一番、  「萩原さんと橋本さんのコンビの仕事は、複雑すぎて難解です」 と言った。  「なにをいきなり…詳しく聞かせて頂戴」 と、驚いた幸子は景子が今にも自分のデスクを叩いて話の続きをまくし立てようとする景 子をいったん落ち着かせた。  「あのですね…」 と景子は、自分が調査してきた藤次郎と玉珠の仕事の事を報告した。  それを聞いて幸子腕を組んで「うーーん」と唸ってしまった。そして、  「あの二人なら、やりかねないわね」 と、うっすらと苦笑いしながらポツリと言った。  「そうですよね…」  景子も困惑した表情で言った。  「で、解らないことは、橋本さんに質問したの?」 と質問する幸子に対して  「それは…」  景子は口を濁した。その頃肝心の玉珠はというと、相変わらず藤次郎と組んで仕事をし ているため、玉珠本人は殆ど藤次郎の会社に居た。そのことを幸子も今更ながらに思い出 し、  「資料引き取って、こっちで橋本さんに聞きながら作業してもいいわね」 と切り出した幸子に対して、  「ですよね」 と景子は救われた思いがして頷いた。  「仕様書類は納品物としてこちらにあるから、足りないものをリストアップして頂戴」  「はい」  景子は自分の席に戻った。  そんなことになっているとは知らずに、藤次郎は自分の席に戻ってきた。席に座ろうと する藤次郎を見かけて幸子は  「萩原君。ちょっと…」 と呼んだ。  「はい、なんでしょう?」  藤次郎は、幸子のデスクに向かった。幸子は両肘を机に突き両手を組んでそこに顎を乗 せながら目線を藤次郎に向けて  「上杉さん、こぼしてたわよ!あなたと橋本さんのこと…」  藤次郎は、自分と玉珠の仲のことだと勘違いし、  「なにを今更…」 と言って頭を掻きながら照れた。それを見て、幸子は藤次郎が勘違いをしていることに気 づき、  「違うわよ!あなたと橋本さんが組んだ仕事のファームウェアプログラムが複雑すぎる のよ」 と、語気を強めて否定した。藤次郎は、最初キョトンとしていたが、幸子が言っている意 味をすぐに理解して  「そりゃ、そうでしょう…お玉…いや、橋本さんは私の作ったハードウェアテストプロ グラムをベースに改造したり、また装置の動作を早くするためにファームウェアの機能の 一部をハードウェアでまかなったりしていますから…」 と、平然と答えた。そして、  「その一部は、幸子さん…いや、係長も了承していますよね」 と続けた。  「…それは、そうだけど…」  幸子は困惑した表情をした。確かに、一部は自分が指示したものであったことを思い出 したからである。  「うーーん」  困った幸子を見て、藤次郎は  「それでは、先方の資料をこちらに持ってきたらどうです?丁度…お玉…いや、橋本さ んもこちらに出ずっぱりだから、私と二人で教えますよ」 と提案した。  「ええ…わたしもそう思って、今上杉さんに足りない資料をリストアップしてもらって るのだけど」  「なら、いいじゃないですか。係長が一言部長に進言して、部長から先方に対して交渉 して貰えば」  「…そうね」 と言って、幸子は席を立つと部長の席に向かった。藤次郎はそれを見送ると、景子の席に 行き、  「上杉君、どうだい?プログラムは解るようになった?」 と、声をかけた。  「萩原さん…もう、何とかしてくださいよ!」 と景子は藤次郎を見上げて、半分ふざけた口調で言った。その言葉から未だ余裕を感じ取 った藤次郎は  「なんだ…宗像さんの話だと、大分手こずっている様に思ったけど、そうでもないじゃ ないか」 と藤次郎が言うと、景子は急に机に向いて暗くなった…それを見て藤次郎は「まずいこと 言ったかな」と気づき、  「俺の設計した装置は特殊用途なのが多いのは分かっているよね」 と、藤次郎は景子をなだめるように言った。  「…はい」  景子は机に向かったまま、小声で頷いた。  「プログラムを見ているだけじゃ分からなくなるのも無理もない。もっとシステム全体 を知らないと…」  「はい」  景子は相変わらず、机に向いたまま頷くだけだった。  「以前、俺の設計した装置の一部を上杉君が設計したよね?」  「はい…?」 と言って、景子は顔を上げた。そして藤次郎の方に顔だけ向けた。  「それなら、システム全体が理解できているからそれに組み込んだファームウェアがど うなっているか分かるよね?」  「…はい、それでもハードウェアとファームウェアの境界が入り組んでいて…」  相変わらずなだめるように話す藤次郎に対して、景子は真っ直ぐに藤次郎の目を見なが ら、手振りを交えて説明した。  「あの時は、どうだったかな?よく思い出してごらん」  藤次郎は、人差し指を立てていった。  「…そういえば…最初お客さんが装置のスピードに満足しなくて…私達がハードウェア でスピードアップして…」  「そうそう…」  藤次郎は目をつぶって頷いた。  「機能が追加されたときには、その実現のためには回路を変更しなければならなくて… そうすると基板から作り直しになるからって、橋本さんに文句言われながらも頭下げてフ ァームウェアで対応してもらって…」  「…だろ?」 と言って、藤次郎は目を開けて少し首をかしげて言った。  「はい…そうかぁ!」  景子は何か閃いたかのような、明るい口調で言った。  「…いずれ近い将来、上杉君がシステム全体の設計をして、お玉かお玉の後輩がそれに ファームウェアを組み込むようになる。その時上杉君がシステム全体を理解していないと、 俺がお玉に再会する以前に設計したシステムのようになるぞ」 と、藤次郎は言った。景子は藤次郎が玉珠と再会する前に設計したシステムの悲惨な状況 を藤次郎自身や先輩の佐竹、上司の幸子から聞いているので、  「…それは、困りますね」 と、真顔で言った。  「だろ?そうならないためにも、プログラムは理解できないとね。だから、まずは自分 が関わったシステムのプログラムを理解しないとね」  藤次郎は持ち上げるように言うと、続けて  「そのプログラムが理解できれば、お玉のプログラムの癖が分かるから、それ以前のは 解析できるはずだよ」 と、軽く言った。  「はい!やってみます」  景子は明るく返事をした。  「係長。リストができました」 と言って景子は席に戻ってきた幸子にリストを提出した。その時の景子の表情を見て、  「…あら、なに?さっきと違ってずいぶん吹っ切れた顔をして」 と驚いている幸子に対して、景子は  「あの二人の名コンビにはまだかないません…でも、きっと私が橋本さんの代わりにな って見せます」 と言った。一瞬、幸子はなんのことか判らずにキョトンとしていたが、  「あらあら…宣戦布告?」 とあきれ顔で言う幸子に、  「はい!」  景子は明るく答えた。  幸子は不思議に思いながらも藤次郎が作業している場所に行き、装置の前で玉珠と言い 合いしながらも作業を進めている藤次郎に対して、  「ちょっと、萩原君。いいかしら?」  「はい、何でしょう?」  藤次郎と玉珠はピタリと言い合いを止めて、二人同士に幸子のほうを向いた。それを見 て幸子は自然に笑みが出たが、用件を思い出し、  「あなた上杉さんに何を吹き込んだの?」 と、呆れ顔で言う幸子に対して、  「なにをって…以前の私の失敗談を…」 と、照れながら言った。  「なになに?」  玉珠も会話に割り込んできた。  「いやぁ、あのA社の装置のことを話したんだよ。『ああなりたくなかったら、システ ム全体を理解しろ』って、『いずれ、上杉君が設計した装置にお玉かお玉の後輩がそれに ファームウェアを組み込むようになる』ともね…」  「ああ…あれね」 と玉珠が頷く。そして、  「私も早く、景子さんが設計した装置を見てみたいわぁ…」  「俺も早く、上杉君が設計するのを見てみたい」 と、二人は言葉を続けて思いをはせていた。それを見て幸子は「おやおや…」と思いつつ、  「いいわねぇ…上杉さんには良いお手本があって…」 と、ため息混じりに言った。 藤次郎正秀